1583年(天正11年)、豊臣秀吉の命により築城された大阪城と、藤堂高虎の命により築城された今治城の築城に参加した、今治出身の石屋治右ヱ門。
彼には、今治城築城後、築城の機密事情を封じる目的の為、藩主より処刑命令がだされました。
その難を何とか逃れた治右ヱ門は、大島に辿り着きます。
そこで、良質の花崗岩層が埋もれているのを知り、自らの技術を生かして切り出したのが、大島石のルーツだと言われています。
しかし、確たる資料は残っておらず、その真実は未だ謎に包まれた部分が残っています。
大島石の採掘が本格的に始まったのは明治初期といわれていますが、当時の石切現場からの切り出し作業は、危険を伴うたいへんな重労働でした。しかし、昭和30年以降墓石用に需要が急増したのに伴って、搬出用、機械や採掘用の削岩機、ジェットバーナー(切削機)などの設備が導入され、生産は大きく増加しました。
石材の最高級とされる大島石は、「かたい」「風化に強い」「変色しにくい」「水をふくみにくい」という特性から、古くは石塔や宝篋印塔に、近代にはいっては、国会議事堂・赤坂離宮・大阪心斎橋・愛媛県庁舎など、建造物にも用いられています。